AI音声解説
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これまでの邪馬臺国論が、北九州か近畿かの位置、邪馬臺国までの道筋、倭国内乱、半島南部の倭人、銅鏡など個別論が中心で、「邪馬臺国の社会・経済」の研究についての議論は少ないとの印象を持ち、従来から、この問題を明らかにしたいという欲求を持っていた。特に、「人口からみた日本の歴史」(鬼頭宏)と云う本を読んだ後は、その思いを強くした。
本書では、先ずは、当時の邪馬臺国の地政学的状況を明らかにするため、中国の正史に記載され、問題になってきた朝鮮南部の倭について私なりの解釈を示し、この倭の存在が、後年どのような影響を日本の外交・政治に与えたかを示した。
また、邪馬臺国の位置について、「人口からみた日本の歴史」に全面的に依拠して、人口の地理的配置の推移から近畿が妥当とする論拠を示した。
本論については、当時の邪馬臺国の社会・経済のイメージを提示するため、まず紀元前三世紀、中国からの鋳造鉄器の輸入の開始から説き起こした。そして、その鉄器の継続的輸入と普及による稲作の外延的拡大を通じて、日本列島の人口は長期にわたり爆発的増加を実現していくことになるが、その発展途上の過程で邪馬臺国と云う女王国が現れることになる。本書は、その後の大和朝廷の時代から飛鳥時代の終末期金属貨幣の出現までを一通り概観したものである。
そして、メインテーマである、邪馬臺国の人々は、どのように生活を送っていたかを明らかにするため、三国志倭人伝が記した社会・風俗・慣習に関する項目を個別に検討し、それが、現代の日本人の生活様式、行動様式等に、今でも引き継がれているものがあるか明らかにしようとした。
以上であるが、邪馬臺国の位置論について今一度云っておきたいのは、邪馬臺国は、素性はともかく、位置は近畿にあったことだけを証明しようとしたものです。
まえがき
ただの個人的感想にしかすぎないが、これまでの邪馬臺国論が、北九州か近畿かの位置、邪馬臺国までの道筋、女王卑弥呼の墓、倭国内乱、半島南部における倭人、中国皇帝から贈与された銅鏡などの、云わば個別論が中心で、「邪馬臺国の人々が生活を送っていた社会・経済」の研究についての議論は少ないとの印象を持ち、従来から、この問題を明らかにしたいという欲求を抱えていた。特に、「人口からみた日本の歴史」(鬼頭宏)という本を読んで弥生から中世までの人口の推移を見てからは、その思いを強くした。「邪馬臺国はどういう社会であったか」という題の設定は、こういうことが理由である。
本書では、先ずは、当時の邪馬臺国が、どのような地政学的状況にあったかを示すため、これまで中国の正史に記載され、問題になってきた倭について私なりの解釈を示し、この倭の存在が、後年どのような影響を日本の外交・政治に与えたかを示した。
また、邪馬臺国の位置について、「人口からみた日本の歴史」に全面的に拠りかかって、人口の地理的配置の時間的推移から近畿が妥当とする論拠を示した。
本論については、当時の邪馬臺国の社会・経済のイメージを提示するため、まず紀元前三世紀、中国からの鋳造鉄器の輸入の開始から説き起こした。その鉄器の継続的輸入と普及による稲作の大幅な外延的拡大を通じて、日本列島の人口は長期にわたり爆発的増加を実現していったが、その発展途上の過程で邪馬臺国と云う女王国の時代が現れることになる。本書は、その後、続いて興った大和朝廷の時代から飛鳥時代の終末期金属貨幣が現れるところまでを一通り概観したものである。
邪馬臺国の時代以降も、一番に特記すべきは、人口と経済の伸びがマイルドにはなってはいくが、成長は続いたと思われることで、これは強調しても、しすぎることはない。例えば、大和朝廷の半島南部の支配なども、僭越ではあるが、この文脈でも語られても良いのではなかろうか。
そして、「邪馬臺国はどういう社会であったか」のメインテーマである、邪馬臺国の人々は、どのように生活を送っていたかを明らかにするため、三国志倭人伝が記した社会・風俗・慣習に関する項目を個別に検討し、それが、現代の日本人の生活様式、行動様式等に、今でも脈々と引き継がれているものはないか明らかにしようとした。
以上であるが、邪馬臺国の位置論について今一度云っておきたいのは、邪馬臺国は、素性はともかく、位置は近畿にあったことだけを証明しようとしたことです。
令和七年十一月
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