前へ!我らグレイトジジーズ ご購入はこちら おじさんたちの第二の青春物語
定年を迎え妻を失い絶望に沈む男 本の概要・紹介文

主人公の小野健一は高校まで二子玉川で生まれ育ち、卒業後はその地を離れ定年まで外資系の薬品会社に勤務する。家族のために一生懸命にこつこつと働いて、定年後は妻とカフェを開くのが夢であった。だが、妻未来子(ときこ)が闘病の末亡くなり、失望の毎日を過ごすことになる。ある日、健一の高校時代に同じラグビー部に所属していた富田信夫が営む床屋に行き、信夫に誘われてまたラグビーを始めることになる。更にラグビー部だった仲間を誘って7人制不惑ラグビーチーム(グレイトジジーズ)を起ち上げ、交流試合に臨むことになる。はじめは乗り気のなかった健一だが、少しずつ妻の居なくなった寂しさから立ち直ることができるようになってくる。グレイトジジーズは秋の大会出場に挑戦することを誓う。おじさんたちの第2の青春物語。

書籍冒頭のご紹介

第一章


その時だった。健一けんいちは背中にふっと温かいものを感じた。

・・・。」

心地よくうっとりとして、健一は目を閉じた。庭先に咲いているコスモスが声を合わせて歌っているように、秋風にかわいい頭を揺らせていた。



の一周忌の法要も終わり、線香の香りが残る部屋の奥で、長女のは帰り支度を始めていた。長男のしょうは甥のゆうたいと庭で遊んでやっている。小学二年生の勇樹と年長組の泰希は力が有り余っていて、家の中で暴れられては理沙の帰り支度もはかどらないので、翔が庭に連れ出したのだ。翔がラグビーボールを蹴ってやると、二人ともキャッキャ言いながらボールを追いかけた。予想もしない方向にラグビーボールが弾んでしまうので、それがおもしろいようだった。

「花壇に入らないように!ばーばが大事にしていたんだから。」

理沙は子供たちに大きな声で注意しながら、乾いた洗濯物を一枚一枚手で伸ばすように畳んでバッグに詰めた。こうすれば、アイロンをしたように綺麗に畳むことができると母に教わっていたのだ。父の白い肌着も、子供の頃にはずいぶんと大きく感じたものだが、一人になった父の哀しみを思うと、今では心なしか小さくなってしまったように感じた。外で遊ぶ子供たちの笑い声とは対照的に、部屋の中は少し寒気がするようにしんとしていた。

「お父さん、もうしばらくいたいのだけど、明日からまた学校もあるし、そろそろ帰るわね。でも、とっても心配。大丈夫?」

「あー、なんとかなるさ。」

健一は外で遊ぶ子供たちをぼんやりと眺めながら、力なく返事をした。

「一週間分の食べ物は冷蔵庫に入れておいたから・・・。とにかくちゃんと食べてよ。」

理沙はしつこく健一に言った。母が亡くなって一年。理沙は一人で暮らす父を心配して、夫の貴明たかあきの休みの日には子供たちを連れてなるべく健一に会いに来るようにしていた。健一が温めればすぐに食べられるように、帰り際にはきまって一週間分の食材を用意して帰るのだ。

「あー。」

健一は声を出すのも面倒なように、深い溜息をついた。



理沙の家族と翔がそれぞれ帰ってしまってから一週間がたった。健一は縁側に座って、庭に咲いているコスモスや澄んだ青い空に流れる雲を眺めて毎日を過ごした。何をするでもない、何をする気にもなれない。ただ、の好きだったコスモスに水をやることだけは忘れなかった。乾いた土に水をやれば、力なく頭を垂れていたコスモスも不思議と元気を取り戻して、陽の光に顔を向ける花々に、自分も「頑張らなくては」と思うのだが、そう思うだけで先には進めなかった。


理沙からは毎朝子供たちを送った後、健一が無事に朝を迎えられたかどうかの確認の電話があった。健一は理沙に監視されているようで煩わしく、

「毎日電話なんかくれなくていいよ。大丈夫だから。」

と言うのだが、理沙は父の言葉には構わずに電話をしてくる。心配してくれているのだから素直に感謝すればよいのに、何故か健一はそれができなかった。


今朝は珍しく理沙からスカイプをつなげてきて、

「お父さん、床屋さんに行かないと。髪もぼさぼさ、髭も手入れをしていないんじゃあ、ダンディーなじーじも台無しよ。ノブおじさんのところでいいじゃない。きれいにしてもらったら?」

背中を丸めて座っている父の姿を見て、理沙は健一の同級生の富田とみた信夫のぶおが営んでいる床屋「トミタ」に行くように勧めた。それから矢継ぎ早に、野菜や発酵食品は食べているか、部屋は片づけているか、洗濯物はためていないか、布団は干しているか等々、あれこれ理沙に質問された後、健一はそばにあった手鏡を覗くと、そこには確かにだらしない孤老が映っていた。

「あーぁ、仕方ない。床屋に行くか。」

健一は鏡の中の自分に声をかけた。


理沙に言われたとおりにざっと部屋の中を片付けて、ジャンパーを羽織り、久しぶりにぶらぶらと歩いて駅前商店街の中ほどにある「トミタ」に向かった。この商店街に来れば同級生が何人もいて、気軽に声をかけてくる。未来子が元気な時には二人で歩いていると、

「仲がいいねえ。」

などとよく冷やかされたものだが、それが照れくさくもあり嬉しくもあった。が、未来子がいなくなった今となっては、知り合いから声をかけられることも煩わしく、誰にも気づかれないように、こちらも気づかないですむように、目線を下に落として「トミタ」の店に向かった。


床屋を営む富田とみた信夫のぶおとは地元の小学校からずっと一緒に過ごし、特にさくら高校こうこうでは同じラグビー部に所属して、泣きも笑いも共にした仲間の一人であった。健一は高校卒業と同時に大学進学のためにこの地を離れ、大学院卒業後の勤めは海外勤務が長かったこともあって、なかなか二子玉川にある実家に帰ることができなかったが、それでも休暇で家族を連れて日本に帰ると、必ず実家に泊まって父や母に顔を見せるようにしたり、久しぶりに同級生と飲み明かしたりしたのだが、そのたびに周りの様子が変わっていくのを感じて、少し寂しいような気がしたものだ。


「トミタ」は信夫の父が七十年ほど前に始めて、信夫が二代目を引き継いでから三十年以上たつ。高校の同級生の光子みつこと結婚してからは、父を手伝って三人で店を切り盛りしてきたのだが、頑固だった父も六十才になると信夫と光子にあっさりと店を託して、母と一緒に伊豆で田舎暮らしを始めたのだが、そんな両親もすでに亡くなっていた。一人息子は夫婦で隣の空き店舗を利用して、数年前から美容室を営んでいた。この息子は床屋を継ごうとは思っていなかったようだし、信夫も強く望んではいなかったので、息子は美容師の資格を取るとすぐ、青山にある美容室で働くようになったのだが、「トミタ」の隣の店が空いたこともあり、また前々から自分の店を持ちたいという夢もあったため、二子玉川に戻ってきたのだった。床屋のほうはめっきり客も減ってしまったが、息子夫婦の経営する美容室は技術もサービスも評判が良く繁盛していた。


健一は「トミタ」の店の前で立ち止まり、ひと呼吸入れると力なくドアを押した。「チャリリン・・・」と同じように小さく鈴が鳴った。

著者紹介

著者:かりん

1958年(S33年)生まれ。世田谷区在住。2007年、埼玉県内で子供を対象としたラグビークラブをたち上げ、以来、育成コーチとして子供たちと一緒にラグビーを楽しむ。2004年、母の目から見た日米教育事情「親子でエンジョイ、アメリカ生活」を執筆。

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