石油ポンプの夢(上巻) ご購入はこちら 上巻・下巻合わせて14の短編小説
高校教師である著者が、学級通信の付録等で書き続けたものである。 書籍のご紹介動画


本の概要・紹介文

上巻・下巻合わせて14の短編小説からなる。

高校教師である著者が、学級通信の付録等で書き続けたものである。

出身地や在住地であった宮城県、神奈川県、そして今いる山梨県を舞台に、学園祭をさぼって山登りを楽しんだ思い出や、大人の女性への淡い恋心、結婚の失敗など、直接的、間接的なエピソードを生かした、半自伝的な内容となっている。

書籍冒頭のご紹介

1.石油ポンプの夢

何をやっても不器用で、思うとおりにいかない人間がいる。気晴らしに散歩に出掛けるとドブに落っこちる。ふと痰を吐けば、風が吹いて自分の手に引っかかる。遅刻して、神妙に講義室に入ったつもりでも、扉が開けっ放しになり、教授に怒鳴られる。

崇(たかし)はどうも、その種の人間のようだ。そんな不本意な日々から逃れようとしたためだろうか。崇は北海道最北の街、稚内(わっかない)にアルバイトに来ていた。大学の2年生。十九才の彼は、第二希望とはいえ、教養課程から理学部地質学鉱物学科に無事進級し、ほっとしている冬休みだった。

アルバイトというのはA新聞社の世論調査である。近々行われる衆議院選挙前に、立候補者の支持率を予想するためのアンケート調査を、無作為に抽出された有権者に行うものだった。


(何かが変わって欲しい・・・)


北に向かう急行の中で、崇は不毛とさえ総括して差し支えない、これまでの月日を振り返っていた。


(何とかして変わりたい・・・)


川に溺れた牛馬が空気を求めるように、心は自然、彼の憧憬する世界に、触手を伸ばしていくのだった。


稚内は、南北に細長い街だった。市街地は、西側に木の生えない氷河性の丘陵を背負っていた。折しも歳暮の候。小雪がちらつく中、餅つきの掛け声が起こったり、スピーカーから邦楽が流れてきたり、あちこちにしめ縄が飾られている。夕闇、ノシャップ岬に近い、古びた民宿に荷を下ろした彼は、初めて訪れた街に、にじむような旅情を覚えていた。

しかし、翌朝からのアンケート調査は困難を極めた。粉雪を頭に積もらせながら、ようやく調査対象者を訪ねてみると、好意的に協力してくれる保証はなかった。

「何でそんなことに答えなきゃならん!」

昼から酒を帯び土工風の男に睨まれることもあった。或いは、既に転居していたり、死去していたりさえする者もあった。

しかし、その困難さが「幸運」を呼び寄せることもある。調査2日目、対象者の住所を調べるため、市役所の案内窓口に立った彼は、ガラス越しの受付女性の美しさに瞳孔を散大させていた。細身の紺のスーツに包まれ、流れるような黒髪の尽きるあたりにベージュ色のネックレスを掛けた受付嬢は、喬よりやや年上らしい女性の麗しい香りを濃密に漂わせている。陶器のようの肌の白さは、雪の化身のようにも思えた。立ち上がって地図を指し示すときに見えた足首にかけての滑らかな紡錘形の脚線美。その魅力に崇には耐えることができなかった。2,3度会話を交わす間に、彼はすっかり、その女性の知的な目の照力に討たれていた。

「今、世論調査でここに住んでいるはずの人が見つからないのですけど。」

彼女の高雅な雰囲気に圧されながら、震える声で崇は話し続けた。

「住所は確かに、萩見四丁目ですね?そこに行くには・・・」

柔らかく澄んだ声が、木霊のように彼の耳に戻ってくる。


以来、残された調査の時間、特に用事が無くとも、崇は何度も市役所に足を運ぶようになった。おかげで四日目には顔を覚えてもらい、笑顔を浮かべた彼女と雑談ができるようになっていた。そして、その午後の別れ際、勇気をもって切り出した。それは崇のこれまでに無い大胆さだった。

「お世話になりました。札幌に着いたらお礼の手紙を出したいので、連絡先を教えてくれませんか?」

「え、私のですか?」

彼女は少しの間、思案していたようだが、やがて微笑みながら、案内用の紙片に端正な字で住所と名前を書いてくれた。そして、彼女が鈴本純恵(すずもとすみえ)という名であることを初めて知った。

(かならず手紙を書こう。)

小走りに市役所を駆け出しながら、崇は体全体に血潮が激しく循環する音が聞こえるようだった。

(こんどこそ、何かが変わるかも知れない・・・)


稚内の鈴本純恵に手紙を出して8日たった日、郵便受けに前に崇は、体軸を突き抜けるような喜悦を感じながら立ち尽くしていた。

( Hallelujah! )

稚内からの赤い色のかわいらしい封筒に入った手紙が来ていた。今、彼女が二十一才であること、2月には家族と一緒に札幌の雪祭りに来ること、などが述べられている。

また、ダメ元で写真を送って欲しいとの要望に応えて、妹とサイパンに旅行に行ったときの写真が4葉同封されていた。

(2月に札幌!また会えるかもしれない。それまでにまた手紙を書いて、何かを感謝の気持ちで贈ろう。)

崇は汗ばむ手を握りしめながら、瞬時にそう決意していた。


翌朝、年始伺いに大学に行くと、まだ彼の中に残っていた昂揚感が、友人にこれまでの経緯を話させてしまった。鈴本純恵の写真はすぐに回覧された。

「麗しいメドヒェン(娘)じゃないか。」

友人の一人がうなった。そして、いつの間にか、これからすぐに稚内へ送る写真を撮りに、グループでキャンパス内のポプラ並木まで行くことになった。しばらく降り続いた雪も上がり青い空が眩しかった。写真撮影後、4人のグループは大学生協に、写真とともに贈るプレゼントを求めて移動した。クラークエプロン、バター飴はすぐに決まった。

しかし、何かもう一つというところで行き当たってしまった。その時友人の中で最も大柄で押しの強い神山という男が歩み出た。

「こんな当たり前のものばかりでは駄目だ。」

旭川出身で、自衛隊の父を持つ彼は、たまたまレジの隣にあった石油ポンプを手にした。

「たとえばこんなものがいい。相手にショックを与えるほどのものでなくてはいけない。彼女の写真を見ても、海外に積極的に行くような人だ。容姿、服装からも、モダンなメドヒェンじゃあないか。この石油ポンプなら『幸せをくみ取って欲しい』という名目もたつ。柔道でいえば“引き技”というものがあるだろ。一度相手を押しておいてから引き倒すんだ。どういう形であれ、相手の心にしっかり入り込むことだ。一時的に怒らせてしまっても、後で謝ればいい。何も心に残らずに、無視されるより遙かにいいんだ。」

・・・この屈強な友人の主張に対し、余りに崇は意思が弱かった。というより、こんな状況に慣れていなかった。自然、神山の主張が4人の結論となり、それは崇の結論にもなってしまった。

(確かにその通りだ。やるだけやってみよう。)


それから崇は友人と別れて、自宅近くのコンビニに走った。新しく積もった雪は、汚れて固まった古い雪の堆積になじまず、足を取られて2,3度転んだ。そのたび、これらの贈り物を包んだ袋を拾い上げ、また走り始めた。

宅急便で送るとき、女の店員が袋からのぞいた石油ポンプを見て苦笑したのが気になったが、崇の決意にもう揺らぎは無かった。

(自分はもっと大きなものに向かって進んでいるんだ!)


宅急便を出して以来、十日ほどたった。稚内から何も反応がないことに、崇は不安と焦りを感じていた。神山に相談してみると、

「彼女も忙しいのではないか。市役所も年始だしね。まあ、もう少し待つことだ。」

と言うなり、視線を合わさずにクラブに行ってしまった。彼の反応に、崇は二日酔いから冷めたばかりのような白々しさが、心に広がるのを感じずにはいられなかった。

 

目次
  1. 1.石油ポンプの夢
  2. 2.クリスマスを越えて
  3. 3.ふさわしい学園祭
  4. 4.カラス
  5. 5.初夏~まだ熟さぬ時
    1. Ⅰ 卒業まで
      1. 1.朝の学校
      2. 2.岳麓高等学校
      3. 3.登校
      4. 4.入場
      5. 5.追憶
      6. 6.校外学習
      7. 7.みやげもの
      8. 8.下級生
      9. 9.教育交流祭
      10. 10.卒業式
      11. 11.迷い
      12. 12.LHR
      13. 13.文化創造館
      14. 14.送別会
    2. Ⅱ 卒業以降
      1. 15.新年度
      2. 16.開花
      3. 17.入学
      4. 18.引っ越し
      5. 19.歓迎会
      6. 20.失敗
      7. 21.昼食
      8. 22.週末
      9. 23.寮にて
      10. 24.休日
      11. 25.アルバイト
      12. 26.友人
      13. 27.はじめて
      14. 28.充実
      15. 29.自信
      16. 30.相談
      17. 31.途絶
      18. 32.土曜日
      19. 33.介護実習
      20. 34.欠席
      21. 35.再登校
      22. 36.変化
      23. 37.逡巡
      24. 38.高尾山
      25. 39.下山
      26. 40.失意
      27. 41.帰省
      28. 42.歓迎
      29. 43.なつかしさ
      30. 44.待ち合わせ
      31. 45.共有スペースで
      32. 46.鈴奈の部屋で
      33. 47.再びの失敗と決意
      34. 48.夕立
      35. 49.7月
      36. 50.忘却への挑戦
      37. 51.さらに上へ
      38. 52.滑落
      39. 53.救助
      40. 54.大ケガ
      41. 55.病院へ
      42. 56.沈潜
      43. 57.LINE
      44. 58.涙
  6. 6.弱光
    1. 1.白魚
    2. 2.悪夢
    3. 3.アルバム
    4. 4.弱光
  7. 7.北海道再訪
著者紹介
鬼丸尚

著者:鬼丸 尚
北海道札幌市出身。北海道大学理学部地質学鉱物学科卒業。宮城県で教職に就くも、東北大学大学院を経て、一時キャリア官僚となる。しかし、教職に戻り、現在山梨県立の高等学校で地学を教えている。妻、娘の3人家族。

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