上巻・下巻合わせて14の短編小説からなる。
高校教師である著者が、学級通信の付録等で書き続けたものである。
出身地や在住地であった宮城県、神奈川県、そして今いる山梨県を舞台に、学園祭をさぼって山登りを楽しんだ思い出や、大人の女性への淡い恋心、結婚の失敗など、直接的、間接的なエピソードを生かした、半自伝的な内容となっている。
8.地質巡検
大学4年の夏だった。理学部地質学鉱物学科の2泊3日の卒業巡検に函館に出掛けた。巡検とは色々なところに行って、特徴的な地形とか、地層とかを観察しに行くことである。同学科は教授や助教授、大学院生も含めて15名で乗用車4台に分乗して札幌を発った。昼食は中山峠という中間点でとった。暑い日だったが、北海道特有のさわやかな風も吹き、教官や先輩の機嫌も良くスムーズな移動だった。私は自宅生で家に車があったので、自分の運転で同学年の2人を乗せていた。同学年と言っても前原という同級生は怠惰な寮生活に没し2年留年をしていたし、もう一人は吉田さんといってインドに放浪の旅に行きふらりと帰ってきて今年8年目の大学生としてのカド番を迎えている人だった。自然、車の中は自由というか、ある意味退廃した空気が充満していた。洞爺湖付近で吉田さんが尿意を催した。幸い道の駅がすぐにあり、最後尾の私たちの車はそこに入った。
「どうせ一本道だし、そのうち追いつくさ。」
小休止の後、再び私たちの車は走り出した。ところがスピードを上げても先行車に追いつけなかった。このとき、私たち3人とも(!)巡検のしおりを忘れてきたのに気づいた。
「見失ったかな?今日泊まるところも分からないぞ。」
携帯も無い時代である。
「まあ、函館に行けば何とかなるさ。大きな街じゃないし、どこかでみつかるさ。」
さすがはアウトローな生き方を続けてきた吉田さんである。
「どこかでみつかるっていっても・・・」前原は不安げである。
結局私たちは先行車を見つけられないまま、函館に着いてしまった。
「せっかく函館に来たんだ。湯の川温泉に泊まろう。一番安いところでいいけど。」
結局その晩は暑さに負け、ビールと温泉三昧に耽(ふけ)った。
2日目になっても状況は変わらなかった。理学部に電話しても函館方面という他、巡検先は届けられていなかった。相変わらず暑い快晴の日だった。
「さすがに自主的に調査しないとまずいぞ。とりあえず函館と言えば、函館山だ。」
私たちはロープ-ウェイで登り、眼下に広がる砂州を見渡した。「とりあえずは地形を見たぞ。」吉田さんは自分に言い聞かせるように言った。ところで、このとき私はなぜか巡検などもうどうでも良くなっていた。部活動に熱中していて(1年くらい遅れても)とさえ思っていたからである。それに対し、前原はこれ以上の留年をするわけにはいかなかった。
私たちは浜辺を歩いたり、かき氷を食べたり、空しい時間が過ぎた。札幌に帰るわけにも行かず3人は夕方同じ旅館に戻ってきた。
「まあ、長期戦さ。何とかなるよ。」
西日がまだ暑い部屋で夕食が始まったとき、前原にあるインスピレーションが降りてきた。「そうだ。H教授の家の電話番号なら分かるよ。」「そうか、その手があったか。」
前原はすぐにアイデアを実行した。私はこれにも無関心だった。いやむしろ連絡が取れない方が良いとさえ考えていた。しかし、宿泊先が判明した。同じ函館市街でも離れたところだった。
「いいか、明日遅れたら巡検は欠席扱いだ!今年の卒業は無くなるぞ!」
日頃から短気なところがある教授はいつになく厳しかった。それでも、連絡がとれた嬉しさに前原に笑顔がよみがえってきた。
「とにかく絶対明日は遅れるな。」・・・語気を強めながら会話が終わったようだ。
「良かったな。」「そうですね。」
私たちは改めてビールで乾杯した。相変わらず私は無関心だった。しかし、もう一度の巡検も嫌だったので、一日だけならマア良いかと思うことにした。
そこへ吉田さんが唐突に言った。
「ところで、函館から50kmもある上磯駅に8時って、早すぎないか?」
「私もそう思っています。懲罰的な要素もあるじゃないですか?」
珍しく弱気な前原がそれに同調した。
「そうだ。連中は今夜、酒盛りだろうし、明日の朝食を7時にとるとは思えない。」
「それもそうだな。連中が8時半にでるとしても、まあ9時に行けばまだ本体より先回りできそうだな。」
「俺達だって今日、少しは地質の勉強をしたんだ。後ろめたく思いすぎるのも良くないな。そもそも俺達を待ってくれなかった向こうにも落ち度がある。」
私は黙っていた。吉田さんと前原の間でこんな会話が続き、とりあえず中を取って、8時半に上磯駅に行くことで合意した。
「まあ、明日一生懸命なところをみせればいいさ。さあ、こちらも函館の最後の晩を楽しむか。」吉田さんはほっとしたせいか、上機嫌にジョッキを飲み干した。
飲み過ぎた! 目覚めたときは既に7時半だった。粗末な朝飯を掻き込んで車が出発したのは8時半。そこに函館中心部を抜けるまでの渋滞が襲いかかる。函館は細長い街で主要な道路は国道5号線しかなかった。そこへ一斉に支流の道からたくさんの車が流れ込んでくる。
「えらいことになったな。あと、25kmくらいあるな。9時半には何とかなるかな。」
「9時に教授たちが着いたとしても30分も待ってくれるかな?」
さすがの吉田さんも不安げな顔をした。
9時20分私たちの車は駅に滑り込んだ。しかし上磯駅には車が一台も無い。
「しめた!まだ来てないかも知れないぞ。」
吉田さんは今更ながら楽観的だったが、前原は既に震えていた。そこへ駅のキオスクのおばさんが出てきた。「あんたたち地質を調べに来た学生さんか?」「ええそうですが。」「これを渡すように言われているんだけど。」
(国道をまっすぐ5km北に行ったところにガソリンスタンドがあり、そこから右に分かれる道があるので、そこを曲がって一つ目の赤い橋のところから谷に入る。一刻も早く追いつくように。)とのメモ書きが渡された。
「どのくらい前にこの人たちは来ましたか?」
「7時50分くらいから8時半くらいまで待っていたようだよ。なんかあんたたちが遅いって怒っていたようだけど。」「ありがとうございました。」
取って付けたような礼をして私たちは北に向かった。すぐにガソリンスタンドは見つかった。しばらく進むと赤い橋があり、そのたもとに3台の車が止められていた。
「まずは誠意だ。誠意さえ見せれば何とかなる。」
3人はあわてて谷に降りようとした。ところが道の両側に谷が開けていて、どちらの谷か分からない。
「どっちだと思う?」
「卒論の統一テーマは断層だったな。」
「北側の方が谷が狭い分、深く地層が見られるな。」
「じゃあ北側だ。いや北側の谷に違いない。」
3人はその北の谷を全速力で昇っていった。3人は川を渡り、走り、転び、また立ち上がって走り続けた。「誠意だ。誠意しか無い。」・・・「オーイ」「オーイ、ヤッホー」何の返事も無かった。
1時間こうした行軍を続けて私たちは谷の選択が違っていたことを合点しないわけにはいかなかった。
「戻ろう。」
さすがの吉田さんも元気がなかった。とりあえずここまで来た証拠に岩石を採集しよう。「この安山岩なんか綺麗じゃあないか?」3人は1つずつ石を拾いリュックに収めた。
やがて遠くから学科の人たちの笑い声が聞こえてきた。しかし、3人の姿をみとめると、その地質学科の人たちは声が止んだ。
・・・哀れむようなまなざし。弛緩した時間。
「で、君たち何か収穫はあったのかね?」H教授ははじめ不思議に優しかった。
「あの、遅れたのは悪かったのですが、おかげと言ってはなんですが、きれいな安山岩を見つけまして。」3人は手のひらに石を一つずつもって教授の前に並んだ。
「ホー、これはひどく”さびきった砂岩“だな。」・・・私たちを囲むように責めるような視線が全員から注がれたこと。その後に激しい怒鳴り声が続いたこと。にもかかわらず罵声の合間の川のせせらぎが耳に心地よかったこと。そしてその後の静寂。・・・それ以外のことを私は全く覚えていない。
その後、教授たちの特赦によって、秋たちは北海道北部のマンガン鉱山に再調査に行き3人とも卒業できた。卒業後、吉田さんは2人だけの測量会社に入った。前原は理系と関係ない証券会社に勤めている。そして私は・・・。
これらはしかし、もう遠い過去の出来事である。思い出したからって、私の感情に訴えかけるものは何もない。それにも関わらず、不安なとき、焦っているとき、脅かされているようなとき、何の脈略も無く、この橋の上での喧噪と静寂の繰り返しの場面がよみがえって来るときがある。
著者:鬼丸 尚
北海道札幌市出身。北海道大学理学部地質学鉱物学科卒業。宮城県で教職に就くも、東北大学大学院を経て、一時キャリア官僚となる。しかし、教職に戻り、現在山梨県立の高等学校で地学を教えている。妻、娘の3人家族。
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